2012年2月4日土曜日

MY ARCHITECT   A Son’s Journey


 
マイアーキテクト。この映画は以前からずっと観たかった映画で、ルイス・カーンの愛人ハリエットとの間に生まれた息子、ナサニエル・カーンが映画監督をして亡き父の足跡を辿り、カーンの建築へと旅をするドキュメントだ。ルイス・カーンとは誰だったのか。父とは誰か。そんな気持ちが不安と期待を混ぜたように思えた。

カーンの実の妻と2人の愛人やそれぞれの娘にインタビューをしたり、個人的に興味深かったのは、当時カーンと関わった建築家たちへのインタビューだ。フィリップ・ジョンソンを初め、イオ・ミン・ペイやフランク・ゲーリー、モシェ・サフディ、バルクリシュナ・ドーシらにインタビューをすることで徐々にカーンという人物が見えてくる。それでも多くの謎に包まれたカーンの意思は非常に興味をそそられるのである。パスポートの名前や住所を消したために身元不明の遺体だった事や家庭のこと世界中の人を愛していたこと。超越的な宗教観など。

カーンは対称性や幾何学的な要素太古の力強さや重量感を求めていたという。それまで自身のスタイルが決めかねていたカーンはギリシャで古代遺跡の影響を受けて覚醒、永遠性と不屈の存在感に着目し古代遺跡のような現代建築を、というスタイルが確立されていく。

ジョンソンは言う。『ライトは怒りっぽいしミースは近寄りがたい、コルビュジエは陰険だ。だがカーンはそれとは違った。』と。そしてカーンは芸術性を突き詰めていて思考が自由であるとも。

それ故か、お金はどうでも良いというのが口癖でソーク研究所以外はほぼ赤字だったそうだ。

カーンのスタンスは反発も多く浴びたし建築や都市計画も万人受けするものではなかったから敵も多かったのだろうと思われるが、施主に自分の意思を押し通す姿勢はカーンを気に入った施主は生涯の施主となる実にはっきりとした人物であったことが伺える。精神的に強かった。

さらにカーンは逆境と向きあえば何かを得ることができるとも説いている。それが具現化されたのがソーク研究所の壁であり、あえて傷などを残した裏には壁作りの難しさを示すという思いもあったのだ。

ゲーリーは近代では建築に情熱がなくなりメカニカルになりすぎたためにポストモダニズムが生まれたと言っており、それとは別にカーンは新鮮だったという。現在は建築の形骸化が起こっていると。

インドやバングラデシュには行ったことがないのだがいつかぜひ行ってみたい。バングラデシュのカーンの建築は本当に大きな意味があり、カーンに民主主義を与えてもらったのだという。世界一貧しい国にカーンの最大の建築が完成したことを誇りに思っているようだった。

『人生なんて偶然によって決まる。周りの影響が大きい』

『無に興味を持ち、沈黙や光にも興味を持った』

『その活力を少しお金儲けに回せば大金持ちになれる』

『かつてあった物は常にあり、今ある物も常にあり、やがてある物も常にある』

それがbeginningだと。


カーンは命を代償に建築を創りあげ独自の愛を貫いた。世界中の人々を愛したがゆえに家族への愛を疎かにしてしまったのだ。

これが一人の男であり建築家だったルイス・カーンだという事を教えてくれる映画だった。

細かく見ると人種的な問題や宗教的観点のものもあり日本人と違う感性であることは否めないが非常に興味深かった。大好きな建築家だから。








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